Prisoner of love
おいおい、本当にこれがてっちゃんの曲かよ、と思ってしまった1曲。
なんつーか、とにかくクサイ!
雑誌「What's in」でおなじみのインタビュアー平山雄一氏が「問題作」と言っていたのに大きく頷いてしまった。
てっちゃんはThe Momentsのハリー・レイが大好きで、
代わりにThe Momentsに入りたいぐらいに思っているそうで、
そのハリー・レイがあえてファルセットを使わないで歌ったような曲を作ろうと思ったそう。
その発想で曲が作れるのがすごい。くろぽんも感心していた(笑)
てっちゃんに曰く、この曲のいいところはアレンジャーの力だ、とのこと。
アレンジャーはもうすっかりおなじみの清水信之氏。
確かにアレンジによってはもっとベタ甘になりそうなところだが、良いアレンジがされているように思う。
メンバー人気はとても高い。
ヤスは、2番出だしの「叶う恋、叶わぬ恋」というところと、
大サビ明けの「いつまでもいつの日を」の裏で、
黒沢さんと北山さんが「君をぉ!」と言っているところがお気に入り。
「君をぉ!」はてっちゃんは最後まで入れようか入れまいか悩んでた部分らしい。
ディズニーアニメ「ライアンを探せ!」のイメージソング。
曲のテーマである「無償の愛」が、映画の父子の愛にぴったりだということで選ばれた。
Simple Words
2006年ファンの集いでのアルバム収録曲初披露で歌われた。
アジアツアーをやって、現地の言葉で一緒に歌えるような曲ができないだろかと思った安岡優さんが
作詩家:安岡優に依頼して作られた(笑)
…という風に自分に対してテーマを提示して発注したので、作りやすかったそうだ。
作詩家はやっぱりすごいなぁ。
サビの愛してる~♪をサランヘヨ~♪とかうぉ~あいに~♪とか
行く先々に対応して替えて歌えたらいいなぁとのこと。
ヤスが歌うともったり胃にもたれそうな曲なのに
くろぽんが歌うと普通になってしまうのがおもしろい。
ヤスとくろぽんということで、『I LOVE YOU, BABY』を思い出した。
アルバム後半、『The Ruler』『SAYONARA』と怒涛のごとく押し寄せた後に聴くとほっとする。
こう言ったらヤスは嫌がるかもしれないけど、癒しの曲だなぁ、と思う。
聴いていたほっこり心が温かくなる曲である。
SAYONARA
男くさくて、ど太いアッパーチューン。
平歌は完全なファンク、サビはポップ。
ホーンセクションの乾いた感じ、ファンクのリズム、歌詩となにもかもが男臭い平歌部分の後に続き、
高めのコーラス、ポップなメロディ、麗句が並ぶロマンティックな歌詩があいまって、
ただ無骨な別れ歌ではなく、人間の切なさが滲み出ているところがうまい。
そう、まさにセンチメンタル!
かっこよさを装おうとする、人間の浅はかさがチクリと胸に響くのがたまらない。
「ただ“サヨナラ”をいうだけの曲にしてくれ」。
そんな村上氏からの無茶なオーダーにより歌詩の方向性が決まったようだ。
アレンジもめっちゃカッコイイ。
アレンジを担当した井上艦氏は80~90年代の日本の音楽を支えた人のひとりである。
最近では、故本田美奈子.氏のトリビュートや福山雅治氏とお仕事されておられるようだ。
他に参加されているミュージシャンの方たちも、今回初めてゴスペラーズと仕事をされる
方々が多かったためか、リスナーにも伝わる化学反応が感じられる。
この曲は言葉では説明できないほどカッコイイ。
この曲に詰め込まれているエッセンスのすべてが、ワタシをセンチメンタルにさせるから。
バラードだけがセンチメンタルだと思っている、単純明快な人間達にわかるだろうか。
ワタシはこの曲で泣けるぜ。
哀れな自分をぶははと笑い飛ばすのにぴったりの名曲。
The Ruler
聴いた瞬間に「なんじゃこりゃあー!」とぶっ飛んだ。
山田ひろし&酒井雄二コンビの曲と知って、エロ曲?と期待していたが、期待以上だった。
鈍器で殴られたぐらいの衝撃を受けて、改めて「酒井雄二ってすげー!」と思った曲である。
酒井氏にしか作れないだろう(良い意味で)変態的な曲。
男くさいメロディと歌い回しにエロい歌詞がマッチしていて力強さを感じる。
曲の真ん中のラップとも付かない、能の謡のように、
セリフに独特の節回しがついたような部分がたまらない。
酒井氏としては、語っていたら盛り上がって歌っちゃってた、という風にしたかったそうだ。
酒井氏がすべてディレクションしてやったそうだが、
メンバーはたまにディレクションがわけわからなくて、
「やっぱ酒井はアーティストだなぁ」と思ったそうだ。
メンバーにそう思われるなんて、やっぱり酒井氏すごいなぁ。こだわりの人なのだろう。
こういう曲を聴くにつれ、酒井氏の才能に感動する。
Let it go
『陽のあたる坂道』のカップリングで1分少々だけプレビューされた曲。
『Platinum Kiss』のプレビュー曲が『狂詩曲』でインパクトが大きかっただけに、
ポップすぎてちょっと拍子抜けだった。
しかし、アルバムでフルで聴くとまた違った印象がする。
『Lean on me』でぐっと盛り上がり、interludeで雰囲気を変えてのこの曲という流れが最高!
新たな気持ちで後半戦いくぞ!という気持ちにさせてくれる。
作曲家黒沢氏曰く、大サビ以降、安岡氏のヤングライオンっぽいフェイクが出たときに「よし!」と思ったらしい。
その通り、ヤスの若い歌い方が曲のいいアクセントになっている。
そこ上がるとこちゃうやろ!というメロディの動きが黒沢さん曲らしくない気がする。
しかし、そういうメロディがあってこそこの曲が平凡なポップソングに収まらない印象を与えている。
でも、カラオケで歌うの大変そうー。
2006年パルコX'masキャンペーンCFソング。
CMコンセプトにより、酒井・北山氏中心の短編英語バージョンを作成。
やっぱり英語といえばこの2人でしょう。
しかし、一般的に北山さんの声じゃゴスペラーズの曲という気がしない…英語はうまいんだけど。
そのついでに2006年12月25日まで、ゴスペラーズがパルコと共同制作した
クリスマスツリー「SINGING TREE」がパルコ渋谷公園通り広場に登場。
CMで使われた『Let it go』を英語詞に書き換えたパルコ限定バージョンなど4曲が流れていた。
Lean on me
1998年発表のアルバム「The Nu nation Project」よりカバー。
このアルバムは、Kirk Franklinにとっての最高傑作であるだけでなく、
90年代のコンテンポラリー・ゴスペルを代表する一枚と評されているものなので、
(すぐに見つかりますし)お時間のあるときにご一聴を。
オリジナルの「Lean on me」はR.KellyやらMarry.J.BligeやらBonoやら有名人が参加して話題になった一曲。
やっぱり訳すのはウェブ翻訳にでも任せるとして、
世の中にはありとあらゆる悲しいことが山ほどあるけど、すぐ隣には私が居るから。
「shoulder」も「lean」も比喩だけど、
その比喩がとても優しいよねぇ…日本語だったら臭くて受け止められないけど。
ゴスペルだということを考慮して、キリスト教徒であろう人に
「How can I Jesus」と言わしめる世の中だけど、
神様より何より、すぐそばの人を信じようよ、ってことか。
あぁ、「汝の隣人を愛せよ」なんだなぁ、これって。
誰かや何かを愛したり信じたり出来る自分に誇りを持つことが素晴らしい、と
ワタシなら受け止めるけど、皆さんはいかがでしょう。
こんなストレスが多い世の中だけど、愛したり信じたりできるような心の豊かさを
持ち続けていたいものだ。
『Love has the power』もそうだけど、それ以上に誰かさんの英語の発音が凄まじい…。
どバラードだから目立ってしゃーない。
Aメロ2番手で出てくる酒井氏の声に心よりほっとする。
特にあの酒井氏の歌い方はここしばらくにないなつかしの“クリスタルボイス”を彷彿とさせる。
一時期、男臭さに走りまくっていたけど、これもまた自分の魅力なんだなぁと咀嚼したのかなと思う。
やっぱり男の子だから、褒め言葉が「綺麗な声ですね」だけでは納得できない頃があって
それはそれで当然なんだけど、ここにきて大人になったってことなのかな。
自分を受け止めるという作業は大変困難だが、それをクリアした人間ほど強いものはない、
ということで、今後の酒井雄二の幅広いうたうたい人生に期待。
狂詩曲
タイトルは「ラプソディ(rhapsody)」。
Wikiによると、「叙事的で民族的な内容を持つ自由な楽曲。(中略)
特定の楽曲形式を指す言葉ではなく、表現する内容と表現の方法に関係する名称」だそうだ。
「叙事的」で「民族的」というところが当てはまるんだろうが、どうでもいいか。
ファンには有名、宇佐美くんが持ってきた一曲。
「『熱帯夜』みたいな曲が必要なんです。男臭さ満載の曲にしてください」と。
宇佐美くん、よくわかってる~。ファンもそう思ってた!
確かに「熱帯夜」みたいに男臭いには違いないが、やはり大人になったなぁ!と思わせる。
あの頃はまだまだど直球で、もっとフィジカルだった。
けれど、今やすっかり大人になって、心の駆け引きができるようになったな、と。
歌詩も象徴的に使われる言葉が熱情的。
火傷しそうなくらいに、視界が真っ赤になる感じ。
なんでも、曲の仮タイトルは「STR」(宇佐美君は「ストリングス」の意味でつけていた)。
それを見た安岡氏が調べに調べて行き着いたのが「strait gate」=「狭き門」という語句。
そこから、「男臭さ」とつなげるためにさらに想像力を膨らませ、
「狭き門」=「高嶺の花」→そんな高嶺の花の女性に人間らしさを出して欲しい、という
歌になったそうだ。
…なんだ、この妄想力?(苦笑)
後は、「マタドール」という言葉が出てきたところから、この曲の世界観が構築されたそうだ。
が、この「マタドール」という言葉は重要だと思う。
「闘牛」=「生き物が1対1で向かい合う」=「危険性がエクスタシィ」
そう安岡氏はPATIPATIで語っていたけれど、これはこの曲のボーカルのぶつかり合いにも同じことが言えるんじゃないかと。
やっぱりなんだな、黒沢&村上の声のハマリ具合ってのは、もうどうしようもなくキモチイイ。
声質が似てるわけでもないのに、ハマるんだなぁ、これが。
異なるものがぶつかり合うということが生み出すエクスタシィかもね。
初披露は、2006年のファンの集い。
まだ歌いなれていない感じは隠せなかったが(盛り上げ方にギクシャクさを感じた)
そのインパクトはすごかった。
すごかったんだけど、インパクトがすごすきて、何がどうだったのかがわからないままで時が過ぎ、
「なんかすごい曲だ」というのだけが一人歩き。
シングル「Platinum kiss」のカップリングとしてちょい出しされたときは、ただ「物足りない」と。
やっとアルバムでフルサイズで聴けたときは、ほっとした、という感じ。
どうでもいいが、Wikiによると「狂詩曲」という表記はあまり好ましくないらしい。
イメージ力が貧困なことを棚に上げて、情けない話だな。
まったくなんでも縛りたがる世の中だ。